疲れた心を癒す名作「フィールド・オブ・ドリームス」、自分の心の声に耳を傾けられるかはあなた次第だ

「レインマン」に続き、私のベスト映画の一本、「フィールド・オブ・ドリームス」(1990年)を久しぶりに観た。いま精神的にそんな時期のよう。好きな映画を観て心を洗い直す、これも映画のなせるワザ。

 

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「シルバラード」(85年)、「ファンダンゴ」(85年)に続き主演した、ブライアン・デ・パルマ監督の「アンタッチャブル」(87年)が大ヒットし、ブレイクを果たしたケビン・コスナーが「さよならゲーム」(88年)に続いて主演した野球映画。

 

とはいえ普通の野球ものではなく、ファンタジーなのがミソ。監督2作目のフィル・アルデン・ロビンソンが、6年の歳月をかけて製作にこぎつけたという秀作だ。大学で出会ったアニーと結婚し、広大なトウモロコシ畑を営むレイ。ささやかながら妻と娘と幸せな日々を送っていたが、ある日の夕暮れに人生を一変させる“声”を聞く…。

 

脂の乗ったコスナーが声に導かれ、何かに取り憑かれたように行動を起こしていくレイを好演。さらに「ストリート・オブ・ファイヤー」(84年)のエイミー・マディガンに加え、「グッドフェローズ」(90年)のレイ・リオッタ、名優バート・ランカスターが実在の大リーガー役を演じ、味のある役者陣が脇を固めているのも見どころの一つ。

 

畑をつぶして作った野球場に過去に実在した思い出の大リーガーたちが現れるという奇想天外なストーリーだが、野球経験者としてはそれだけでなぜか胸が熱くなる。自己破産に追い込まれながらも、彼らのために野球場を作り、維持していくことに納得していたレイだったが、実は真の理由は別にあったというもの。このラストシーンは映画史に残る名シーンである。

 

人は誰しも大人になり、年を重ねていく中で、失敗や後悔を一つや二つ抱えている。中年になり、人生の折り返し地点に差し掛かった時にレイが聞いた“声”は、実は自分の中の心の声だったのだ。絶縁状態のまま亡くなった父親への思い。それぞれの父と息子にしか理解できない関係。言葉にしなくても、キャッチボールをするだけでお互いを許すことができる。

 

もちろん、現実の人生はそんなに甘くはないだろう。トウモロコシの収穫量が減れば、売上が減り、ローンが返せなくなり、生活できなくなる。近隣の人々から変人扱いされても無理はない。

 

でもこの映画は、人生の中で諦めてきたもの、目をつぶってきたもの、大切な何かを失ったことに人々が気づき、ひと時だけでも現実を忘れて夢に浸ってもいいじゃないかということを描いている。本当の自分の心の声が聞こえない人もいるだろう。聞こえても行動を起こせない人もいる。それでも自分を信じて行動できる人生を歩みたいものだ。

 

自分の人生や人間関係、家族との絆に悩んでいる人、壁にぶち当たっている人におススメの映画です。私の人生においても、壁に打ち当たった時などには、いつもこの“それを作れば、彼が来る”という台詞は心の中でリフレインしている。

トム・クルーズとダスティン・ホフマン名演が光る「レインマン」、あなたの人生観に変化を与えてくれる名作だ

久しぶりにトム・クルーズとダスティン・ホフマン共演の感動作「レインマン」を観た。ちゃんと見直したのは20年ぶりくらいだろうか。この作品は、私の映画人生に多大な影響を与えた一本である。

 

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「タップス」(1982年)、「アウトサイダー」(83年)、「卒業白書」(84年)で注目され、86年の「トップガン」「ハスラー2」で大ブレイクを果たした青春スターのトムが、演技もできることを証明するかのようにドラマ作品に取り組んだ一本。「ハスラー2」でのポール・ニューマンに続き、名優ホフマンとの共演が話題になった。

 

当時まだ中学1年生の私はもちろん劇場では観ていない。5歳上の姉がレンタルビデオ店でアルバイトをしていて、確かVHSのサンプル版をもらってきたことから、家で繰り返し観ることができたというもの。恐らく合計9回〜11回くらいは観ていると記憶している。

 

「トップガン」でトムにはまっていた私は、今度はどんな格好いい姿を見せてくれるのかと期待して観たのだが、観終わった後に純粋に心があたたかくなったのを今でも覚えている。監督は「グッドモーニング、ベトナム」のバリー・レビンソンで、音楽は今や映画音楽巨匠であるハンス・ジマーという布陣だ。

 

絶縁状態だった父親が死に、トム演じる息子チャーリーは遺産が舞い込むと期待し、喜び勇んで葬式に出席する。だが、チャーリーへの遺産はクラシックカーの1台のみ。他の遺産は第三者が相続することになっていて、そこでチャーリーは自分に兄がいたことを知る。しかも会いに行ってみると兄は自閉症で病院に入院していた—。

 

外車の輸入業者をしているチャーリーは自分勝手な男で、会社も破産寸前に追い込まれていた。そんな男が父親の死をきっかけに自閉症の兄と旅をすることになり、その道中で次第に心を通わせていく姿を描いていく。お金目当てだった男が、生きる意味、人生とは何か、孤独や家族と愛について自分を見つめ直していく物語は、中学1年生の私の心を揺さぶった。

 

自閉症の兄レイモンドを演じるホフマンの演技が素晴らしく、それにトムが見事に応えている。ハンス・ジマーの独特のテンポの曲に乗せて、アメリカを横断していく展開が、私の心も連れて行ってくれた。レビンソン監督の人間を見つめる眼差しがあたたかい。

 

80年代には、ハリウッドでこんな作品がちゃんと作られていたことに、改めて感服する。莫大な制作費を投入したヒーロー映画や3D、IMAX、4DX向けのアトラクション映画が作られる前の時代だ。80年代は私の青春時代だが、70年代のアメリカン・ニューシネマの名残がある古き良き時代だった。

 

この「レインマン」を観ると、こんな映画が作りたいと、改めて映画業界で頑張ろうと思わせてくれる。まだ未見の方には是非一度観て欲しい。あなたの人生観に変化を与えてくれる作品になることは保証する。

スティーブン・スピルバーグ監督が映画の面白さを再発見させてくれる!「レディ・プレイヤー1」が映画表現の可能性を新たに切り開く 

スティーブン・スピルバーグ監督がまたやってくれた。新作「レディ・プレイヤー1」は、映画の可能性を切り開こうとする野心的であり、革新的なSFアクション。3DにIMAX、4DXにMX4Dなどなど、映画鑑賞がアトラクション化した先に新たに誕生した体験型の映画だと言える。

 

同作は、アーネスト・クラインによる小説「ゲームウォーズ」を原作に映画化したもの。ゲームの世界を映画で描き、映画を観ながらゲームをしているようなVR(ヴァーチャル・リアリティ)の世界を体験させてくれる。

 

舞台は2045年という今から27年後の世界。貧富の差が広がり、多くの人たちが荒廃した街に暮らしているという設定。そんな人々の唯一の楽しみは、VRの世界「オアシス」に没入し、アバターとなって自分の理想の人生を楽しむこととなっている。

 

荒廃した現実の世界からVR世界に入り込む際のトリップ感は秀逸で、観客はVR用のメガネをかけなくても、まるでそのゲームの世界に入り込んだような錯覚を起こす映像表現が駆使されている。映画を観ている観客は、途中から映画を観ているのか、ゲームの世界に入り込んでいるのか、その境界線がわからなくなるのでないだろうか。

 

予告編を観た時は、なんでもありのVRのゲーム世界がごちゃごちゃしていて正直についていけないのではないかと思ったが、そこはスピルバーグ監督、ちゃんと整理して展開していってくれる。現実の世界とゲームの世界をいったりきたりする展開が、次第にsのトリップ感が気持ち良くなってくるほどだ。

 

さらにゲーム世界には、日本人には堪らない人気キャラクター数多く登場し、高揚させてくれる遊び心満載の内容に思わずニヤけてしまった。もはや映画だ、ゲームだ、アニメだと、それぞれの表現の限界や境界線はなくなり、縦横無尽にそれぞれを行き来しながらフィクションの世界と現実世界が融合したような世界に観ているうちにぶち込まれていく。

 

そして終盤の追いかけっこ。往年のスピルバーグ作品を彷彿とさせる王道の展開に涙する映画ファンも少なくないだろう。映画的記憶をしっかりと内包しつつ、映画の新しい表現に挑戦していくスピルバーグ監督の映画愛には感服せざるを得ない。

 

私は字幕の通常版で観たが、これがまた3D吹替版などのバージョンで観るとさらに埋没感、体験感を味わうことができるだろう。「ブリッジ・オブ・スパイ」や「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」などのドラマものとまた違ったスピルバーグ監督の本領が久々に発揮されている。

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北野武監督独立騒動のその後と、オフィス北野と北野映画のこれからに思うこと

北野武事務所独立の内幕が徐々にわかってきた。私が前回触れた大杉漣さんの突然の逝去に対する精神的な感傷などではなく、事務所社長とのお金絡みのトラブルであるらしい。

 

武さんの独立のタイミングに合わせて、たけし軍団の言い分(暴露話)が表に出て、裏切り者扱いされた森昌行社長がこれに反論するという内紛の様相は激化しそうになったが、森社長が改めて武さんに謝罪し、たけし軍団のメンバーと話し合いの場をもって事務所を建て直す方向で収束しそうだ。

 

世界の北野武監督を作り上げた森社長の功績は今のところ誰もが認めるところであろう。その相棒と最後はお金絡みで袂をわかつことになってしまったことは、北野映画ファンとしては何とも寂しい。

 

本当の理由はまだわからないが、武さんが独立したいと言い出せば、森社長からすればこれまでの自分の映画プロデュースの面での貢献はなんだったのか、さらに稼ぎ頭の武さんがいなくなるとなれば、オフィス北野の売上は大きく落ちることは明白なわけで、独立までに自分はもちろん、事務所スタッフに預金(資産)を分け合おうと考えてもおかしくはない。

 

ちょうどこのタイミングで「龍三と七人の子分たち」を観た。引退した元ヤクザの老人たちの最後の暴走を面白可笑しく描いており、北野監督の才能を堪能したが、武さんもこの主人公たちと同じ年齢、立場になりつつある。

 

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今回の騒動は、独立に絡めてオフィス北野、もしくはたけし軍団の知名度を上げるための演出のようにも見えなくもない。それはそれで良いと思うが、森プロデューサーと袂を分かった北野監督は、これからどのような体制で映画を監督していこうと考えているのだろうか。

 

一部報道では「もう映画は撮らない!」と吠えたというが、落ち着いてくれば撮りたくなるに違いない。それに他の映画会社やプロデューサーたちが黙っているわけがない。新たな体制で、どんな北野映画を見せてくれるのか、少し先の話になるのかもしれないが、新作がいまから待ち遠しい。

北野武さんがオフィス北野を3月末で退社のニュース! 北野監督の新作映画への影響はいかに!?

北野武さんが3月いっぱいで事務所を退社し、独立するというニュースが3月14日のホワイトデーに飛び込んできた。オフィス北野を退社し独立? ちょっと紛らわしいが、1988年に現社長の森昌行さんと立ち上げた自分の事務所を離れるというのだ。森社長の話では、「(たけし)軍団を含め、これまで背負ってきたものをいったん下ろしたい。自分の時間を増やしたい」という申し出があったというのだ。71歳の武さん、いったいどんな心境の変化があったのだろうか。

 

一部報道では、2年前に(愛人と)別の会社を設立し、退社、独立に向けて準備を進めていたという。第三者の我々からみれば、お笑い芸人・タレントとしてテレビのバラエティー、監督として映画、文化人として執筆業と自分のやりたいことをやってきたように見えるのだが、内情は違ったのだろうか。今のところ疑問符しか浮かばない。

 

確かにオフィス北野の屋台骨、大黒柱として、軍団も所属する会社を支えてきた苦労は本人にしかわからない。古稀を迎え、背負ってきたもの、責任を下ろしたいという気持ちは理解できなくはない。しかしなぜこのタイミングなのか? 森社長とケンカしたのか? いや、もうそんな関係でもないだろうと思いたい。

 

この独立によって、現在レギュラー番組の出演契約にどのような影響があるのだろうか。他のタレントのように飛び出したからといって契約を解除されたり、芸能界から干されるということは考えられない。私が心配なのは、テレビでその顔が見られなくなったとしても、映画が監督できなくなってしまうことだ。北野監督作品がもう観れないのか?

 

お笑い界最大の実力者であり、世界的な映画監督でもあるので独立しようが何しようがオファーは来ると思うのだが、映画に関しては、オフィス北野が拠点となって撮り続けてきたことは大きな意味を持つと思う。芸人ビートたけしと監督北野武をバランス良くプロデュースしてきた森社長の手腕はあまりにも大きい。「座頭市」(03年)まで興行的に厳しい状況が続き、映画を監督できなくなる可能性もあったという。ちょうど昨夜購入した書籍「映画監督、北野武」の中の森社長のインタビューを読んでいたので、改めて森プロデューサーの偉大さを痛感していたところだった。その言葉からお互いへのリスペクトと阿吽の呼吸が感じられていたのに。

 

北野武監督ファンとして思い込みたい理由の一つのが、大杉漣さんの死である。北野作品の顔とも言える俳優、大杉さんは2月21日に心不全のため急逝した。66歳だった。その時武さんは自分の番組内で涙ながらに大杉さんへの思い出を語り、「変な言い方だけど、自分が生かして、最後に自分が殺した」ような気持ちというような言葉を述べたのが印象的だった。当時まだ無名の大杉さんを「ソナチネ」(93年)で抜擢し、その後大杉さんは役者としてブレイク。昨年公開の「アウトレイジ 最終章」で久しぶりに北野作品に出演し、最後は車にひき殺されるというヤクザの親分の役だった・・・。

 

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自分の映画を支えてきた盟友を失い、思うところがあり、ここで一つの区切りをつけたくなったのではないか。そんな風に勘ぐりたくなってしまう。

 

第90回アカデミー賞受賞作品「シェイプ・オブ・ウォーター」に心酔、ギレルモ・デル・トロ監督のイマジネーションを堪能せよ!

第90回アカデミー賞で全13部門にノミネートされ、作品、監督、美術、音楽の4部門を受賞した、ギギレルモ・デル・トロ監督の「シェイプ・オブ・ウォーター」を観た。とても映画愛に満ちた、映画だからこその表現を駆使したピュアな作品だったと思う。製作・原案・脚本も務めたギレルモ監督ワールド全開のファンタジーラブストーリーとなっている。

 

幼少期のトラウマで声が出せないヒロイン、イライザと、アマゾンで捕獲されたという不思議な生き物のラブストーリーがファンタジーとして成立してしまうのは、いくつか理由があると思う。まず視覚的に美術が優れていること。政府の極秘研究所という作り込まれたダークな世界観の中に姿を現す半魚人のようなグロテスクな生き物は、リアルであり、違和感がなく、もしかしたら存在するかもしれないと思わせる造形だ。

 

男でも恐れるような容姿に、噛み付いてくるかもしれないという未知なるものへの恐怖がわき起こり、女性ならなおさら恐がって、近寄りたくないと思うのが普通であるが、イライザとこの不思議な生き物は、目と目を合わせた瞬間からお互いの本質を見抜いたかのようにすぐに惹かれ合う。言葉は必要ないのだ。目と目、手話、ボディランゲージで意志を疎通させていく。そして、次第にこの生き物が愛らしく、魅力的に見えてくるではないか。人間にとっての恐怖とは愛とは何なのか、突きつけられたように感じる。

 

2つ目の理由は、1962年、冷戦下のアメリカという時代設定だろう。アメリカと旧ソ連が互いを出し抜いて世界の覇権を握ろうと水面下で躍起になっている、ある意味戦時下よりも異様な時代と世界。軍事力や科学技術を磨き、あらゆる面で世界一になろうとする中で、宇宙船や宇宙人のように、未知なる生き物を研究しようという設定は映画的な説得力を持つ。ギレルモ監督の「パンズ・ラビリンス」(06年)を観れば、この監督が戦争に対して、戦時下の人間の精神の狂気について、死について、何を考えているのかがより深く理解できるだろう。

 

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そしてもう一つは、様々な場面に散りばめられた映画へのオマージュであろう。古き良き時代、物質的には満たされていなかったかもしれないが、ギレルモ監督の懐かしき記憶、思い出がこの物語を包み込んでいる点が、観ている我々を幸福にするのであろう。グロテスクなもの、フリークス、未知なるものとの接触を扱った映画は過去に何本もある。一部でパクリ疑惑が出ているようだが、それをどう捉えるかだと思う。

 

孤独な人間にとって人生は時に残酷である。しかし、ギレルモ監督はファンタジーというカテゴリーの中で、ユーモアやイマジネーションがそんな人生を豊かにすることを描こうとしているように思う。映画のラスト、イライザはどうなったのか。あなたのイマジネーション次第でこの映画の味わい方が変わる。

第90回アカデミー賞2冠の「スリー・ビルボード」が問いかけるテーマにどう答える? 製作者たちの信念が深い感動を与える傑作ドラマ

第90回アカデミー賞でフランシス・マクドーマンドが主演女優賞を受賞した「スリー・ビルボード」を授賞式(日本時間3月5日)前に観た。純粋に素晴らしい作品だった。揺るぎない、語るべきテーマが核としてあり、マーティン・マクドナー監督を中心に、キャスト、スタッフがこの作品を信じて制作したことがスクリーンから伝わってきた。

何者かに娘を殺された母親が、7カ月経っても犯人の捕まらない状況に業を煮やしある行動をとる。頼りにならない警察への母親の怒りが、アメリカ・ミズーリ州の片田舎の社会や人間関係を揺り動かし、波紋を広げ、様々な事件を引き起こしていく。

この作品はイギリス映画で、ハリウッド作品に比べれば低予算で制作されたと思われる。だが、ウディ・ハレルソンや、同じくアカデミー賞で助演男優賞を受賞したサム・ロックウェルらが共演しており、いわゆる日本の低予算映画よりもゼロが2つほど多いだろう。

大金をかけなくてもこんなにも志の高い、信念のある作品が作れることに敬意を表したい。日本のインディ映画の企画に制作資金がなかなか集まらないことを嘆いていることが恥ずかしくなった。本当にその企画を信じて取り組めば、同じ思いを持った仲間は集まるに違いない。

この作品からは様々なことを考えさせられたが、一番印象的だったのは「怒りは怒りを来す」という台詞、言葉だ。フランシス演じる母親の行動はエスカレートし、許されないものもある。けれど、演じるフランシスの信念の宿った眼(表情)を観ただけで泣けてきてしまう。自分とは異なる他人に寛容になることは容易ではない。他人を許し、自分の過ちを認めることは勇気がいる。

この映画は、人間社会が抱える様々な問題に対する答えを描いてはいない。この映画を観た観客自身それぞれが、観終わった後に自分に問いかけるようなラストになっている。

大杉漣さん逝去、北野武監督作品、日本映画界を支えてきた名バイプレイヤーの早過ぎる死に黙祷を捧げる。

俳優・大杉漣さんが2月21日、急性心不全のため急逝した。66歳だった。あまりにも早い死、あまりにも惜しい俳優を失ってしまった。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 

仕事帰りにスマホでニュースを見ていて、漣さん死去の見出しと写真を目にした時は何かの冗談だと思った。現在放送中のテレビ東京のドラマ「バイプレイヤーズ」の宣伝のための悪い冗談か何かだと思ったほどだ。

 

持病を抱えていたとか、闘病していたとか、最近見なくなったとかでももちろんない。報道によれば前日も元気にドラマの撮影をしていたというではないか。

 

演じていない時のあの穏やかな笑顔と物腰で、確かなオーラを持っていた、ダンディズムを感じる男性。同性から見ても何か惹き付ける魅力を持っていた方。

 

一方で、映画やドラマの物語の中では、強面のヤクザから総理大臣まで、シリアスもの、コメディでも幅広い役柄を演じ続けてきた名優の一人。

 

中でもやはり秀逸だったのは北野武監督作品における存在感だろう。ある意味、北野監督が描く主人公とは異なる、もう一方の北野武の一面を投影された役を言葉少ないながら印象的に演じていた。

 

昨年も「アウトレイジ 最終章」では、生粋の元暴力団員ではに元証券マンあがりの暴力団会長を軽妙に演じ切っていたばかりだった。

 

1978年に高橋伴明監督作で映画デビューし、81年「ガキ帝国」(井筒和幸監督)で一般映画に初出演。「ソナチネ」(93)で脚光を浴び北野監督作の常連として活躍。「HANA-BI」(98)で数多くの国内映画賞の助演男優賞を受賞した。他にも竹中直人監督「無能の人」(91)、SABU監督「ポストマン・ブルース」(97)、崔洋一監督「犬、走る DOG RACE」(98)、石井岳龍監督「蜜のあわれ」(16)など、300本を超え、若手監督のインディペンデント作品にも積極的に出演している。まさに名バイプレイヤーの一人だった。

 

もう新しい役柄の漣さんをスクリーンで見ることができないのかと思うと寂しくて仕方ないが、しばらくは過去の出演作を見返して寂しさを紛らわしたいと思う。

 

ミケランジェロ・アントニオーニ監督作品「太陽はひとりぼっち」がリバイバル上映、男女のはかない恋愛感情と虚無感を描き“愛の不毛”を問う

イタリアの名匠ミケランジェロ・アントニオーニの監督作品「太陽はひとりぼっち」(1962年)が、フランス映画界を代表する名優たちの主演作を集めた「華麗なるフランス映画」(東京・角川シネマ有楽町)でリバイバル上映されている。アラン・ドロンの引退表明や、セクハラを告発する「#Me Too」へのカトリーヌ・ドヌーヴの逆告発などで話題を集めているフランス映画界だが、この時代に名作がスクリーンで見られるのは貴重である。

 

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アントニオーニ監督作品には私も多大な影響を受けた。「太陽はひとりぼっち」は、都会に生きる男女のはかない恋愛感情と虚無感を描いた恋愛ドラマ。「情事」「夜」に続く「愛の不毛」3部作の最終章で、イタリアとフランスの合作。

 

当時人気絶頂の美青年俳優アラン・ドロンと、気怠い魅力を放つ女優モニカ・ビッティを起用。極力台詞を排したような演出で、画と音と間で物語を語っていく手法が強烈だった。恋愛ドラマではあるが、現代社会の中で人を愛することとはどういうことなのか、男と女の関係とは、さらには生きるとは、自分の存在とは何なのかを考えさせられる。

 

徹夜で別れ話をしたであろう早朝の男女の倦怠感。フランスやイタリアを舞台にしながらも、どこか未来的で、時代や場所を特定させないような空間設計。間違いなく人間の男女の話を描きながらも、描けば描くほど、語れば語るほど、なぜか空しくなっていくようなストーリーをアントニオーニ監督は描き続けたように思う。

 

アントニオーニ監督独自の解釈や視点でありながら、最終的には普遍的なものを描いているからこそ、半世紀以上経った今も傑作として上映し続けられているのであろう。宇宙的な視点でもあり、霊的な視点といっても過言ではないかもしれない。建物を捉えたショットなどは、小津安二郎監督作品にも通じるものがあるとさえ私は感じる。

 

恋愛で悩んでいる方、生きることに退屈な方、そしてまだ本作を未見の方には是非観て欲しい作品です。映画の見方や異性に対する考え、人生に対する考えが変わるかもしれない。

桝井省志さん編著「映画プロデューサー入門」には、映画プロデューサーとして生きていく覚悟はあるのかという問いに対するアドバイスが詰まっている!

「Shall we ダンス?」の周防正行監督作品や「ウォーターボーイズ」の矢口史靖監督作品など、多くの良質な娯楽作品を製作してきた映画プロデューサー桝井省志さん編著による本「映画プロデューサー入門」を読んだ。現在の私にとっては学ぶべきことが多く記されており大変参考になるバイブルとなるだろう。と同時に、とても身につまされもした。

 

映画プロデューサー入門

 

過去に取材し、何度も話を聞かせてもらった錚々たるプロデューサーたちが登場する。佐々木史朗さん、岡田裕さんなど、日本のインディペンデント映画制作を駆け抜けてきた諸先輩方の言葉は軽やかのようでいてとても重い。話を聞いていたということもあるが、私の知らないエピソードからも、その言葉の裏では数々の修羅場をくぐり抜けてきたであろうことが想像できる。

 

映画産業の荒波に揉まれ、翻弄されながらも制作プロダクションを立ち上げ、メジャー作品とはことなる視点で、プロデューサー主導の作家主義映画を作り続けてきた。ここに登場するプロデューサーたちの境遇はそれぞれ違い、人によっては気がついたら映画プロデューサーになっていたという方もいる。

 

それでもなぜ映画を作り続けるのか? その答えが本書にはあるような気がする。大きな会社組織に属しているプロデューサーと、独立して自ら会社を立ち上げたプロデューサーの違いとは何か。本書からは「お前は腹を括れるのか?」という明確な問いが突きつけられているようでならない。

 

企画した映画がヒットする保障はない。ヒットして制作費を回収し、利益が出たとしても手元に入ってくるのは、制作から2年後もしくは3年後だ。それまでどうやって収入を得るのか?企画を開発し、シナリオをあげ、キャストを決めて、制作資金集めに奔走する毎日。スタッフを集め、準備を整え、クランクイン。さらに配給会社を決め、劇場公開をしなければお金は入ってこない。そんなすべての責任を負うのが、独立プロのプロデューサーだ。

 

しかし、ヒット作を飛ばし、時の人となりながらも消えていったプロデューサーを私は何人も知っている。もちろん復活してきたプロデューサーもいる。映画を作り続けることと会社を経営することをバランス良く続けていくことは容易ではない。それでも作りたい映画を作るには片手間では真の映画プロデューサーにはなり得ない。

 

若い監督、新しい才能との出会い。企画力、お金集め、人脈に広さ、宣伝力など、プロデューサーとしての強みは何なのか? 映画を作り続けること、映画業界で生き抜いていくことは容易ではない。だからこそ本書に登場するプロデューサーたちの言葉には重みがある。「映画」を愛し、時に血反吐を吐きながらも映画作りを楽しんでいる。変わり者でないと務まらない役回りだ。

 

もっとビジネスライクに、効率よく、多くの人々が喜ぶ娯楽作を制作すればいいじゃないかという考えもあるだろう。そうしていかなければならない側面も時代の移り変わりとともにあるのも事実だ。であるならば、次の世代であるプロデューサーは時代にあった映画作りと制作資金の回収の仕方、新しい利益の得方を開拓しなければならない。