世界最恐の映画監督に迫る書籍「黒沢清の全貌」、何を考え世界をどのように見ているのか!?黒沢清監督の頭の中を探求する

「散歩する侵略者」という新たな傑作を生み出した、世界最恐の映画監督に迫る書籍「黒沢清の全貌」(文藝春秋)を読みました。まさに円熟期に入った黒沢清監督が何を考えながら映画を監督しているのか、徹底解剖し、その一端が垣間見える貴重な内容となっています。

四部構成で、第1部は最新作「散歩する侵略者」について、作家・宮部みゆきさんと対談しています。宮部さんは「黒沢監督の映画には終始不穏な空気が漂っています」と、そしてその「不穏さにどうしようもなく惹かれてしまう」と述べています。私もなぜかその「不穏な空気」に惹かれてきた一人です。この「不穏な空気」「不穏な世界」こそが黒沢清監督の頭の中を解読するキーワードではないでしょうか。

第2部は遡って、「LOFT」(05年)、「叫」(06年)、「トウキョウソナタ」(08年)について。蓮實重彦さん、イザベル・ユペールさんらとの対談や、西島秀俊さんのインタビューなどが掲載されています。さらに、「散歩する侵略者」や「クリーピー 偽りの隣人」(16年)の撮影現場の設計図が掲載されていて、黒沢監督がいかに計算して撮影しているかがわかる貴重な資料となっています。

第3部は「贖罪」(11年)、「リアル 完全なる首長竜の日」(13年)、「岸辺の旅」(14年)について。作家・阿部和重さんの「岸辺の旅」論は秀逸で、黒沢清作品に面白い角度から切り込んでいます。また、映画祭についてのエッセイや脚本書き日記なども掲載され、黒沢監督が「帰宅好き」であることも明かされています。

そして第4部は「クリーピー」について脚本家・高橋洋さんと対談、「ダゲレオタイプの女」についてはインタビューに答え、「若い男女の恋愛と犯罪を撮りたい欲望」を述べています。

黒沢監督は自分の作品を見直すことがほとんどないそうです。確かイタリアの巨匠、フェデリコ・フェリーにもほとんど見直さないと語っていたような気がします。黒沢監督はある部分で非常に緻密に計算ずくで脚本を書き、演出している一方で、こちらが思っていたほど深くは考えず、狙いもなく撮っているようなことを言っているのですが、それはどちらもそうなのかもしれません。

黒沢監督はまた、「常に無節操に映画をつくってきた」とも述べています。この無節操とは、黒沢の中にある様々な欲求を表現しているのかもしれません。しかし、無節操に見えても最終的にはどの作品も黒沢清作品になっているところが、今の世界的な評価につながっている理由ではないでしょうか。映画的な記憶を飄々と作中に散りばめながら映画ファンの心をくすぐりつつ、そこに黒沢清独自の世界を同居させてしまう恐ろしさ。

映画とは何かを知り尽くした上で、新たな境地を切り開こうとする作品に鳥肌が立たずにはいられません。まるで「散歩する侵略者」に出てくる宇宙人のごとく、普通の人間とは違う視点でこの世界を見ているのではないでしょうか。黒沢清監督の頭の中をこれからも作品とともに探求していきたと思います。若き頃に長谷川和彦監督についていたこともとても重要な歴史ですね。

 

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