ウォン・カーウァイ監督の傑作「欲望の翼」がデジタルリマスター版で13年ぶりに公開! 90年香港映画の熱気が感じられる奇跡のような作品

ウォン・カーウァイ監督の傑作の一つ「欲望の翼」(90年)が、デジタルリマスター版で、2018年2月から東京・渋谷のBunkamuraル・シネマほか全国で順次公開されることが決定しました。ということで、「欲望の翼」のパンフレットを久しぶりに開いてみました。

「欲望の翼」は、カーウァイ監督の「恋する惑星」とともに、私のそれまでの香港映画に対する概念を覆させた映画の一本。作品は、1960年代の香港を舞台に、若者たちのけだるい恋愛模様を描いた現像劇。今は亡きレスリー・チャン、マギー・チャン、アンディ・ラウ、ジャッキー・チュン、カリーナ・ラウ、そしてトニー・レオンと、当時香港の豪華6人のスターが競演した、今となっては奇跡のような作品です。

時系列に沿わないストーリー展開やモノローグの多用、陰影に富んだ原色を効果的に配した映像と美術、自由なカメラワーク、印象的な音楽を使用するなど、その後の香港ポスト・ニューウェイブを担うスタッフで、カーウァイ監督がその独自のスタイルを確立した原点ともいえる作品。香港電影金像獎など数多くの映画賞を受賞しました。

当時の配給会社プレノンアッシュによるパンフレットは、シナリオも採録された44ページの保存したくなる作り。表紙は密林を背景に、レスリーら6人が食卓に座ったカットがコラージュされています。

レスリーの退廃さ、カリーナの色気、マギーの美しさ、アンディの男気、ジャッキーの純朴さ、そしてトニーの男の色気。レスリー演じる主人公ヨディが、サッカー競技場の売店の売り子スー(マギー)に語りかける「1960年4月16日3時1分前、君は僕といた。この1分を忘れない――」という印象的なセリフはもちろん、登場人物たちのモノローグがこの物語を展開させていくのですが、象徴的な時計のカットの挿入など、映像だけでも人物の心情を表現しているところがカーウァイ監督のスタイル。

撮影シーンは、その日になるまでわからず、直前まで監督がシナリオを書き直していたという逸話も伝わっていますが、そうした生感覚の映画作りが画面から伝わってくるのがカーウァイ作品の魅了の一つ。息子と母親の話をベースにしながら、男女の恋愛模様描いたラブストーリーで終わるのかと思いきや、後半突如としてアクションシーンが挿入され、男の友情が描かれるなど、香港映画らしさがあるのも愛嬌のひとつ。ただ、ここからヨディとタイド(アンディ)が逃避行していくシーンがまたいいんですよね。

そして、トニー。なんと最後に出かける身支度をしているシーンだけの登場。これがまた余韻を残して素敵でした。調べると、当初はもっとトニーのシーンがあったとのことで、本作ではバッサリとカットしたとのこと。ただ、それが後の作品につながっていくのがカーウァイ作品の楽しみ方となるのです。

 

欲望の翼 [DVD]

 

今回、日本のスクリーンでの上映は13年ぶりとのこと。27年前の香港映画の傑作が、当時の映画ファンだけでなく、今の若い世代にどのように受け止められるのか注目されます。デジタルリマスターでどのように甦るのか楽しみです。

1990年/香港映画
提供:ハドソン、ファンハウス、プレノン・アッシュ
配給:プレノン・アッシュ

THE YELLOW MONKEYの復活ツアーに松永大司監督が密着したドキュメンタリー映画「オトトキ」の鑑賞にはハンカチを手に!

第30回東京国際映画祭開催中(10月25日〜11月3日)にドキュメンタリー映画「オトトキ」を観ました。この作品は、15年ぶりに再集結したロックバンド、THE YELLOW MONKEYが2016年に行ったツアーに密着しながら、「イエモン」の活動休止から再集結の真実に迫ろうとするもの。

イエモンを聴いて青春時代を過ごした世代の者としては、曲がかかるたびに鳥肌が立ち、涙が込み上げてきてしまう作品でした。92年にメジャーデビューし、「SPARK」「JAM」「太陽が燃えている」「楽園」「BURN」「球根」など、数々のヒット曲を生み出した伝説のバンドです。

98年から99年にかけては合計113本のツアーを1年がかりで実施し、延べ55万人を動員する人気を誇りましたが、01年1月で活動を休止。その後も休止状態のまま、04年に解散を発表しました。この時のことについては13年のドキュメンタリー映画「パンドラ ザ・イエロー・モンキー PUNCH DRUNKARD TOUR THE MOVIE」で描かれています。

解散から12年、16年1月8日にTHE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016を発表し、全42公演、36万人動員のツアーで見事な復活を遂げました。

なぜイエモンは解散したのか? については「パンドラ」で描かれています。メジャーとなったバンド活動の葛藤、伝説のツアーを成功させた後の枯渇感、さらにはボーカル&ギター吉井和哉のプライベートな葛藤まで迫っています。メジャーとして成功する苦しみと、本当にやりたいこととの狭間でもがき苦しみ、いかに新しい作品(曲)を生み出すことが喜びでもあり、苦しみでもあるのかが伝わってきました。人気絶頂だった頃のテレビ番組から決して伝わってこないイエモンの素の姿に迫った素晴らしいドキュメンタリー映画でした。

そして、彼らの2作目のドキュメンタリー映画となる「オトトキ」では、吉井がなぜメンバーの音を再び求めたのかに迫っています。監督・撮影は「ピュ〜ぴる」(11年)、「トイレのピエタ」(15年)の松永大司がてがけています。松永監督の視点でイエモンに寄り添いながら、イエモン復活ツアーの高揚感とともに、吉井をはじめとしたバンドメンバーの解散と復活に対する心情を引き出しています。

 

パンドラ ザ・イエロー・モンキー PUNCH DRUNKARD TOUR THE MOVIE [Blu-ray]

 

11月11日(土)より新宿バルト9ほかで全国公開されます。イエモンファンはもちろんですが、彼らの曲をリアルタイムで聴いていない若い世代も全身でノれて心で泣ける体感型映画になっていますのでおススメです。

観る者を摩訶不思議な世界へ誘うフランシス・フォード・コッポラ監督の異色作「コッポラの胡蝶の夢」は一見の価値有り

フランシス・フォード・コッポラ監督と言えば、「ゴッドファーザー」3部作や「地獄の黙示録」ですが、コッポラが2007年に撮った「コッポラの胡蝶の夢」はまた映画的な世界観を描いた、観る者を摩訶不思議な世界へ誘う作品です。

「レインメーカー」(97年)以来映画の撮影現場から離れていたコッポラが10年ぶりに製作・監督・脚本を手掛けた作品で、現代ルーマニア文学の巨匠ミルチャ・エリアーデが著した「若さなき若さ」が原作です。人生の最終章に再生する魂を得た一人の男の数奇な運命を描いています。

主演は「レザヴォア・ドッグス」(92年)や「海の上のピアニスト」(99年)のティム・ロス。本作では26歳から101歳までの主人公を演じています。ヒロインはルーマニア出身のアレクサンドラ・マリア・ララで、「ベルリン・天使の詩」(87年)のブルーノ・ガンツが脇を固め、「レインメーカー」に出演したマット・デイモンがカメオ出演しています。

言語学者の主人公は孤独な死を待つだけの日々に耐え切れずに自殺を決意するのですが、復活祭の夜に落雷が直撃し、奇跡的に一命をとりとめた主人公は肉体と頭脳が驚異的に若返り、超常的な知的能力を発揮し、かつて愛した女性と生き写しの女性に出会うというもの。主人公がヨーロッパを旅する幻想奇譚となっています。主人公が若返っていくという設定は、ブラッド・ピット主演の「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」(09年)と同じですが、本作の方が先に製作されています。

プレスシートの中でコッポラは、本作では小津安二郎監督のスタイルを踏襲したと明かし、カメラは全編にわたって動かさずに撮影するという意欲的な作品です。第二次世界大戦、ナチスの台頭、ソ連の支配という激動の歴史を背景にしていて、全体的に暗いトーンの作品になのですが、当時のコッポラ監督の精神状態、頭の中を描き出しているようで大変興味深い作品です。

 

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他に青春映画の「ランブルフィッシュ」「アウトサイダー」(83年)や、「コットンクラブ」(84年)、「タッカー」(88年)、「ドラキュラ」(92年)といった幅広い作品を手掛けているコッポタ監督。父カーマインは作曲家、妹タリア・シャイアは女優、息子ローマンはと娘ソフィアも映画監督、甥は俳優のニコラス・ケイジという芸能一家のコッポラ一族。コッポラ監督の他の作品とは異なる一面が見られる異色作品は一見の価値有りです。

世界最恐の映画監督に迫る書籍「黒沢清の全貌」、何を考え世界をどのように見ているのか!?黒沢清監督の頭の中を探求する

「散歩する侵略者」という新たな傑作を生み出した、世界最恐の映画監督に迫る書籍「黒沢清の全貌」(文藝春秋)を読みました。まさに円熟期に入った黒沢清監督が何を考えながら映画を監督しているのか、徹底解剖し、その一端が垣間見える貴重な内容となっています。

四部構成で、第1部は最新作「散歩する侵略者」について、作家・宮部みゆきさんと対談しています。宮部さんは「黒沢監督の映画には終始不穏な空気が漂っています」と、そしてその「不穏さにどうしようもなく惹かれてしまう」と述べています。私もなぜかその「不穏な空気」に惹かれてきた一人です。この「不穏な空気」「不穏な世界」こそが黒沢清監督の頭の中を解読するキーワードではないでしょうか。

第2部は遡って、「LOFT」(05年)、「叫」(06年)、「トウキョウソナタ」(08年)について。蓮實重彦さん、イザベル・ユペールさんらとの対談や、西島秀俊さんのインタビューなどが掲載されています。さらに、「散歩する侵略者」や「クリーピー 偽りの隣人」(16年)の撮影現場の設計図が掲載されていて、黒沢監督がいかに計算して撮影しているかがわかる貴重な資料となっています。

第3部は「贖罪」(11年)、「リアル 完全なる首長竜の日」(13年)、「岸辺の旅」(14年)について。作家・阿部和重さんの「岸辺の旅」論は秀逸で、黒沢清作品に面白い角度から切り込んでいます。また、映画祭についてのエッセイや脚本書き日記なども掲載され、黒沢監督が「帰宅好き」であることも明かされています。

そして第4部は「クリーピー」について脚本家・高橋洋さんと対談、「ダゲレオタイプの女」についてはインタビューに答え、「若い男女の恋愛と犯罪を撮りたい欲望」を述べています。

黒沢監督は自分の作品を見直すことがほとんどないそうです。確かイタリアの巨匠、フェデリコ・フェリーにもほとんど見直さないと語っていたような気がします。黒沢監督はある部分で非常に緻密に計算ずくで脚本を書き、演出している一方で、こちらが思っていたほど深くは考えず、狙いもなく撮っているようなことを言っているのですが、それはどちらもそうなのかもしれません。

黒沢監督はまた、「常に無節操に映画をつくってきた」とも述べています。この無節操とは、黒沢の中にある様々な欲求を表現しているのかもしれません。しかし、無節操に見えても最終的にはどの作品も黒沢清作品になっているところが、今の世界的な評価につながっている理由ではないでしょうか。映画的な記憶を飄々と作中に散りばめながら映画ファンの心をくすぐりつつ、そこに黒沢清独自の世界を同居させてしまう恐ろしさ。

映画とは何かを知り尽くした上で、新たな境地を切り開こうとする作品に鳥肌が立たずにはいられません。まるで「散歩する侵略者」に出てくる宇宙人のごとく、普通の人間とは違う視点でこの世界を見ているのではないでしょうか。黒沢清監督の頭の中をこれからも作品とともに探求していきたと思います。若き頃に長谷川和彦監督についていたこともとても重要な歴史ですね。