大杉漣さん逝去、北野武監督作品、日本映画界を支えてきた名バイプレイヤーの早過ぎる死に黙祷を捧げる。

俳優・大杉漣さんが2月21日、急性心不全のため急逝した。66歳だった。あまりにも早い死、あまりにも惜しい俳優を失ってしまった。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 

仕事帰りにスマホでニュースを見ていて、漣さん死去の見出しと写真を目にした時は何かの冗談だと思った。現在放送中のテレビ東京のドラマ「バイプレイヤーズ」の宣伝のための悪い冗談か何かだと思ったほどだ。

 

持病を抱えていたとか、闘病していたとか、最近見なくなったとかでももちろんない。報道によれば前日も元気にドラマの撮影をしていたというではないか。

 

演じていない時のあの穏やかな笑顔と物腰で、確かなオーラを持っていた、ダンディズムを感じる男性。同性から見ても何か惹き付ける魅力を持っていた方。

 

一方で、映画やドラマの物語の中では、強面のヤクザから総理大臣まで、シリアスもの、コメディでも幅広い役柄を演じ続けてきた名優の一人。

 

中でもやはり秀逸だったのは北野武監督作品における存在感だろう。ある意味、北野監督が描く主人公とは異なる、もう一方の北野武の一面を投影された役を言葉少ないながら印象的に演じていた。

 

昨年も「アウトレイジ 最終章」では、生粋の元暴力団員ではに元証券マンあがりの暴力団会長を軽妙に演じ切っていたばかりだった。

 

1978年に高橋伴明監督作で映画デビューし、81年「ガキ帝国」(井筒和幸監督)で一般映画に初出演。「ソナチネ」(93)で脚光を浴び北野監督作の常連として活躍。「HANA-BI」(98)で数多くの国内映画賞の助演男優賞を受賞した。他にも竹中直人監督「無能の人」(91)、SABU監督「ポストマン・ブルース」(97)、崔洋一監督「犬、走る DOG RACE」(98)、石井岳龍監督「蜜のあわれ」(16)など、300本を超え、若手監督のインディペンデント作品にも積極的に出演している。まさに名バイプレイヤーの一人だった。

 

もう新しい役柄の漣さんをスクリーンで見ることができないのかと思うと寂しくて仕方ないが、しばらくは過去の出演作を見返して寂しさを紛らわしたいと思う。

 

ミケランジェロ・アントニオーニ監督作品「太陽はひとりぼっち」がリバイバル上映、男女のはかない恋愛感情と虚無感を描き“愛の不毛”を問う

イタリアの名匠ミケランジェロ・アントニオーニの監督作品「太陽はひとりぼっち」(1962年)が、フランス映画界を代表する名優たちの主演作を集めた「華麗なるフランス映画」(東京・角川シネマ有楽町)でリバイバル上映されている。アラン・ドロンの引退表明や、セクハラを告発する「#Me Too」へのカトリーヌ・ドヌーヴの逆告発などで話題を集めているフランス映画界だが、この時代に名作がスクリーンで見られるのは貴重である。

 

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アントニオーニ監督作品には私も多大な影響を受けた。「太陽はひとりぼっち」は、都会に生きる男女のはかない恋愛感情と虚無感を描いた恋愛ドラマ。「情事」「夜」に続く「愛の不毛」3部作の最終章で、イタリアとフランスの合作。

 

当時人気絶頂の美青年俳優アラン・ドロンと、気怠い魅力を放つ女優モニカ・ビッティを起用。極力台詞を排したような演出で、画と音と間で物語を語っていく手法が強烈だった。恋愛ドラマではあるが、現代社会の中で人を愛することとはどういうことなのか、男と女の関係とは、さらには生きるとは、自分の存在とは何なのかを考えさせられる。

 

徹夜で別れ話をしたであろう早朝の男女の倦怠感。フランスやイタリアを舞台にしながらも、どこか未来的で、時代や場所を特定させないような空間設計。間違いなく人間の男女の話を描きながらも、描けば描くほど、語れば語るほど、なぜか空しくなっていくようなストーリーをアントニオーニ監督は描き続けたように思う。

 

アントニオーニ監督独自の解釈や視点でありながら、最終的には普遍的なものを描いているからこそ、半世紀以上経った今も傑作として上映し続けられているのであろう。宇宙的な視点でもあり、霊的な視点といっても過言ではないかもしれない。建物を捉えたショットなどは、小津安二郎監督作品にも通じるものがあるとさえ私は感じる。

 

恋愛で悩んでいる方、生きることに退屈な方、そしてまだ本作を未見の方には是非観て欲しい作品です。映画の見方や異性に対する考え、人生に対する考えが変わるかもしれない。

桝井省志さん編著「映画プロデューサー入門」には、映画プロデューサーとして生きていく覚悟はあるのかという問いに対するアドバイスが詰まっている!

「Shall we ダンス?」の周防正行監督作品や「ウォーターボーイズ」の矢口史靖監督作品など、多くの良質な娯楽作品を製作してきた映画プロデューサー桝井省志さん編著による本「映画プロデューサー入門」を読んだ。現在の私にとっては学ぶべきことが多く記されており大変参考になるバイブルとなるだろう。と同時に、とても身につまされもした。

 

映画プロデューサー入門

 

過去に取材し、何度も話を聞かせてもらった錚々たるプロデューサーたちが登場する。佐々木史朗さん、岡田裕さんなど、日本のインディペンデント映画制作を駆け抜けてきた諸先輩方の言葉は軽やかのようでいてとても重い。話を聞いていたということもあるが、私の知らないエピソードからも、その言葉の裏では数々の修羅場をくぐり抜けてきたであろうことが想像できる。

 

映画産業の荒波に揉まれ、翻弄されながらも制作プロダクションを立ち上げ、メジャー作品とはことなる視点で、プロデューサー主導の作家主義映画を作り続けてきた。ここに登場するプロデューサーたちの境遇はそれぞれ違い、人によっては気がついたら映画プロデューサーになっていたという方もいる。

 

それでもなぜ映画を作り続けるのか? その答えが本書にはあるような気がする。大きな会社組織に属しているプロデューサーと、独立して自ら会社を立ち上げたプロデューサーの違いとは何か。本書からは「お前は腹を括れるのか?」という明確な問いが突きつけられているようでならない。

 

企画した映画がヒットする保障はない。ヒットして制作費を回収し、利益が出たとしても手元に入ってくるのは、制作から2年後もしくは3年後だ。それまでどうやって収入を得るのか?企画を開発し、シナリオをあげ、キャストを決めて、制作資金集めに奔走する毎日。スタッフを集め、準備を整え、クランクイン。さらに配給会社を決め、劇場公開をしなければお金は入ってこない。そんなすべての責任を負うのが、独立プロのプロデューサーだ。

 

しかし、ヒット作を飛ばし、時の人となりながらも消えていったプロデューサーを私は何人も知っている。もちろん復活してきたプロデューサーもいる。映画を作り続けることと会社を経営することをバランス良く続けていくことは容易ではない。それでも作りたい映画を作るには片手間では真の映画プロデューサーにはなり得ない。

 

若い監督、新しい才能との出会い。企画力、お金集め、人脈に広さ、宣伝力など、プロデューサーとしての強みは何なのか? 映画を作り続けること、映画業界で生き抜いていくことは容易ではない。だからこそ本書に登場するプロデューサーたちの言葉には重みがある。「映画」を愛し、時に血反吐を吐きながらも映画作りを楽しんでいる。変わり者でないと務まらない役回りだ。

 

もっとビジネスライクに、効率よく、多くの人々が喜ぶ娯楽作を制作すればいいじゃないかという考えもあるだろう。そうしていかなければならない側面も時代の移り変わりとともにあるのも事実だ。であるならば、次の世代であるプロデューサーは時代にあった映画作りと制作資金の回収の仕方、新しい利益の得方を開拓しなければならない。

ドゥニ・ビルヌーブ監督の「ボーダーライン」が描き出す世界の現実、善と悪の境界が揺らいでいく必見のクライム・アクションだ!

記者という仕事を生業にし、自分なりに勉強を続け、映画で世界を知ったような気になって40歳を超えても、この世界には知らないことがあり過ぎる。メディアのニュースで悪だと報道されていたものが、ある国や民族にとっては実は善で、善だと報道されていたものが実は必要悪だったりする。もちろん、しらなくていいことはあるのだろうが、事実を知れば知るほど、この世界が、社会がどのように動いているのかが見えてきて、絶望的な気分になりながらも、もっと知りたくなる。

 

麻薬の生産や所持、使用は犯罪である。外国映画で描かれる麻薬は、ある意味ドラマを展開させる要素の一つで、若い頃は傍観者として捉えていたが、日本でも最近、芸能人の麻薬所持や使用による逮捕のニュースが増えてきた。ニュースになったり、逮捕されるのは氷山の一角で、実際はもっと日本社会に蔓延しているのだろう思われる。

 

各国の政府は麻薬を撲滅しようと取り組んでいる。しかし一方で、麻薬ビジネスが一国の経済を動かし、麻薬組織同士、あるいは国同士(?)で麻薬戦争なるものが続いているのも事実のようだ。安全な国に住む日本人には想像しがたい現実であるが、実際多くの人が死んでいる。綺麗ごとでは解決できないことは、この世界に五万とあるのだろう。ある地域では、麻薬王が人々の英雄だったりするのだ。

 

昨年、「ブレードランナー 2049」が賛否両論を巻き起こしたドゥニ・ビルヌーブ監督の「ボーダーライン」(2015年)は、アメリカとメキシコの国境地帯で繰り広げられる麻薬戦争の現実をリアルに描いたクライム・アクションだ。麻薬撲滅に取り組むエリートの女性FBI捜査官ケイトが主人公だが、麻薬ビジネスによって人の命が簡単に失われていく現場に直面していくうちに、彼女の中で善と悪の境界が揺らいでいくというストーリー。

 

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一方の組織を撲滅させるために協力していた仲間や作戦が、実は敵対する組織の力を復権させ、麻薬ビジネスの秩序を取り戻すためだったという事実を知った時の主人公の衝撃は想像に難くない。下手すれば自分の命も簡単に消されてしまう世界だったのだ。

 

ケイトを演じたエミリー・ブラントの愁いを帯びた瞳と華奢な身体がどうしようもできない空しさを一層引き立てる。理想と現実、計り知れない現実に直面した時、自分は理想を、正義を貫き通せるだろうか。エミリー演じるケイトは最後まで抵抗しようと試みる。

 

対する麻薬組織撲滅の極秘作戦に参加した謎のコロンビア人を演じた名優ベニチオ・デル・トロが恐ろしく魅惑的だ。多くを語らずも、ある信念を持って作戦を遂行していくのだが、真実は予想を上回るものとなる。ベニチオの目つき、表情、仕草、風貌が醸し出す、計り知れない凄味。死と隣り合わせで生きている人間を見事に演じてみせている。

 

観客は、こんなことが許されてしまうのかと困惑するだろう。しかしまた、同じことが繰り返されていくのだということもどこかでわかるだろう。復讐や憎しみは何も生まない。命を奪えば必ず違う命が奪われていく。表向きは国を挙げて悪を撲滅し、平和を目指そうと取り組んでいるように見えても、そこにはまた裏の思惑が表裏一体となっていることを知った時、我々は絶望するしかないのだろうか。そんな現実を商業映画として作り上げてしまうハリウッド映画には、やはり学ぶべきことが多い。世界の裏側のある真実をちょっと覗いてみたい方、いつ死んでもおかしくない戦場の緊迫感を「映画」で味わってみたい方にお薦めのクライム・アクション映画です。