遅い! と突っ込まれそうですが、観なければと思いながらも機会を逸していた韓国映画「クロッシング」(2008年)をようやく観ました。予想以上に胸を掻きむしられる作品で、涙が止まりませんでした。でも、それは傍観者として「北朝鮮の人々」は可哀想ということではありません。妻子を持つ一人の人間として、自分に置き換えて観た時に、とても耐えられないと思ったからです。
この作品は、「火山高」「彼岸島」のキム・テギュン監督が脱北者の過酷な現実を描いた社会派ドラマ。02年3月、脱北者25人がスペイン大使館に駆け込んで韓国亡命を果たした「北京駐在スペイン大使館進入事件」が題材となっています。北朝鮮との友和を図って、脱北者に対し冷淡だったノ・ムヒョン政権下で極秘裏に製作され、イ・ミョンバク大統領に政権交代した後の08年6月にようやく韓国で公開されたという、映画製作・公開自体も苦難の経緯を持っています。
元サッカー選手の主人公ヨンスは、炭鉱で働き、貧しいながらも家族3人でなんとか幸せに生きていましたが、妻が肺結核になったことで生活が一気に困窮してしまいます。飼っていた愛犬を食べ、サッカー選手時代に最高指導者からご褒美にもらったテレビを売って凌ぐも、そのお金も遂に尽き、ヨンスは生活費と治療薬を手に入れるため、妻子を残し、危険を冒して国境を越えて中国へ渡ります。必死に働いて薬を手に入れようとするのですが、その間に妻は死に、息子ジュニは孤児になってしまいます。
こんなことが今の時代に本当に起きているのか、と疑いたくなる物語ですが、これだけでは終わりません。ヨンスはまわりに巻き込まれて韓国に亡命し、北朝鮮に戻れなくなってしまうのです。妻子が生きているのかわからない焦燥感と、自分だけ韓国で「普通に」生きている罪悪感。この苦痛は夫として、親として想像を絶するものだと思います。
孤児になった息子は、お父さんとの再会を信じて一人国境を目指すのですが、捕まって脱北を図ったものが収容される矯正施設に入れられてしまいます。この時のジュニの孤独や不安、寂しさは想像を絶するものでしょう。まだ11歳です。脱北前にお父さんとサッカーをしたシーンがフラッシュバックし、胸が締め付けられます。
それでもなんとか韓国の裏ルートを使ってヨンスは息子の居場所を突き止めて収容所から出し、中国のブローカーを介してモンゴルの国境を越えさせます。しかし、ジュニがモンゴル国境を越えた先は壮大な荒野。さらにヨンスはモンゴルの空港で足止めを食らって探しにいけません。奇跡でも起きない限り、ジュニは助からないでしょう。
ここで私は淡い期待を抱いてしまいます。彷徨うジュニは、モンゴルの遊牧民か親切な人に運良く見つけられて、最後に親子は再会できるのではないかと…。
テギュン監督は徹底して冷徹に現実を見つめて描いています。それでも日本公開を前に来日したテギュン監督は「そのまま表現してしまうのは、映画としても心情的にもつら過ぎる。実際、抑え気味に描いたが、もっと直接的に表現すべきだったかと今も葛藤は続いている」と語っています。なんと現実はもっと辛いのか。
しかし、この作品が傑出している理由の一つは、過酷で悲惨な脱北者の現実を描きつつも、父と息子の愛の物語に昇華しているからでしょう。妻を失ったことはもちろん辛い。しかしそれ以上に、愛する11歳の息子を救えなかった罪悪感は耐えられないでしょう。そして、お父さんを信じて孤独と空腹感に耐えながら微かな希望をもって荒野を彷徨ったジュニの純真な眼差しを目撃した時、観客は何も出来ない自分に怒りさえ覚えるかもしれません。
エンディングロールでは、北朝鮮でのささやかな、幸せだった頃のシーンが流れます。極力現実に忠実に描きながらも、テギュン監督の人間への眼差しはどこかユーモアを感じさせるところがこの作品の救いになっているのかもしれません。
北朝鮮がミサイルを頻繁に発射し、世界の緊張が高まっていますが、このような現実がずっと続いていることを目撃した時に、我々に何ができるのか。日本人拉致問題も未解決のままです。映画の力で世界にこの現実を知らしめることができる。暴力以外で問題を解決できる日はくるのでしょうか。