アッバス・キアロスタミ監督の「24フレーム」から「映画とは何か?」を考える、映画を観る力が試される野心作

第18回東京フィルメックスのクロージング作品として、アッバス・キアロスタミ監督の「24フレーム」を鑑賞しました。

写真が撮影された前後ではどうなっているのか? そんなコンセプトに基づいて映画と写真の統合を試みたキアロスタミ監督の野心作です。

2016年7月に亡くなったイランの名匠は、本編完成前にこの世を去りましたが、何を想ってこの異色なテーマに挑戦したのでしょうか。

全編ほぼフィックスの114分。何パターンかのある決まったシチュエーションの中に、牛や鳥、波が打ち寄せる海辺や雪の舞う景色などが、24フレームにわけて映し出されます。

写真なのか絵なのか、映像なのか、観客は戸惑いながらもこのフレーム内の景色を眺めるのみです。

アメリカ映画や香港映画、日本映画以外の世界の映画を観はじめていた私にとって、キアロスタミ監督の「友だちのうちはどこ?」(87年)を観た時の衝撃は私の映画人生に大きな影響を与えています。

「こんな映画があるのか」「いや、これが映画なのだ」と、フィクションでもありノンフィクションでもあるようなこの映画を観終わった後に何とも言えない映画的な幸福感に包まれたこと、この映画を観た人生とそうでない人生は間違いなく異なると確信しました。

だからこそ「24フレーム」には正直戸惑いました。「これは映画なのか?」と。

しかし、「友だちのうちはどこ?」を観た時がそうであったように、キアロスタミ監督はまたしても私の既成概念を打ち崩してくれたのだと気づきました。

 

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「映画とはこういうものだ」というある種の自分の中の自信。これがないと映画評やニュース原稿は書けないし、映画をプロデュースすることもできません。

でも、私は「24フレーム」で映画を観る力を改めて試されたのだと思いました。この作品から何を受け取ったのか、まだ答えは出せていませんが、まさにキアロスタミ監督の遺言のように感じています。

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