2017年公開の日本映画のマイ・ベスト1作品は黒沢清監督の「散歩する侵略者」でした。それもあって、「黒沢清の全貌」(文藝春秋刊)に続いて、講演をまとめた「黒沢清、21世紀の映画を語る」(boid刊)を読みました。
いったいこの黒沢清という監督は、映画とは何か、映画監督をどのように考えて撮っているのか? そして、この現実世界をどのように捉えているのか? 少しでも黒沢監督の頭の中を覗き込めればとの私の疑問に本書は少し答えてくれています。
私の映画論から始まり、映画のショットについて、小津安二郎について、映画とロケ場所について、映画の歴史について、そして映画監督の仕事とは何かについて語っています。具体例として、大島渚監督を挙げ、「日本春歌考」「絞死刑」について説明。さらに21世紀の映画を語るとして、リアルとドラマ、持続と断絶、人間、について語っています。
黒沢監督の得意ジャンルのひとつ、ホラー映画とは何かについて語り、人間の理解を超えた存在について、映画は「世界」を描くための技術であるとしています。黒沢監督が理想とする映画の最上の機能として、「存在していること」が「見ること」によって保障され、同時に「見ること」の可能性が「存在そのもの」によって極限まで高められると言います。映画というメディアの特質は、「不特定多数の他人と一緒に見る」という映画館の特徴が、映画というものの本質に大きく関わっているというのです。
また、黒沢監督と小津監督の共通点として、東京を舞台にした作品が多いことで、東京で映画を撮る理由、映画とロケ場所との微妙な関係を語っています。そして、撮影現場での映画監督の役割は、映画作りをスムーズに進行させていく役割を担っているとし、映画とは「世界」を切り取ることだと述べています。
映画を監督することは、非現実を現実化する作業、または現実の断片を寄せ集めて非現実を作り出すことであるとしています。
映画について、映画監督というものについて淡々と語っていますが、その言葉の奥には確かな映画的な知識があることがうかがえます。本書を読んだ後に久しぶりに「リアル 完全なる首長竜の日」を見直したのですが、まさに黒沢ワールドのひとつの集大成とも言える非現実世界を「リアル」に描き、最初に観た時よりもさらに興味深く観ることができました。
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