テオ・アンゲロプロス監督の映画的な表現、「エレニの旅」では村が水に沈み、「霧の中の風景」では時が止まる

テオ・アンゲロプロス監督「エレニの旅」(2004年)のパンフレットを手にしています。フランス映画社配給で日比谷のシャンテ・シネで公開された時に販売されたものです。同館で公開されたフランス映画社配給作品のパンフレットは、映画的価値の高い書物と言えます。全38ページ(表紙・裏除く)。映画と同様に読み始めると映画的な旅ができます。

アンゲロプロス監督と言えば、寡作ながらもそのほとんどの作品が映画的傑作と評価されています。今から約20年前、当時大学で映画を学び始めた私にとって、232分という「旅芸人の記録」(1975年)の上映時間は苦痛以外のなにものでもなかったのですが、いざ観はじめると時間のことなど忘れ、まるで劇中の登場人物たちと一緒に映画的な旅をしているようでした。初めての感覚でした。

ハリウッド大作のように映像を消費するのではなく、見つめること。その映画の中に入り込むこと。監督=作家が描く個性的なイマジネーションの世界に浸ること。そして、映画から世界を学ぶことを教えられた気がします。一回観ただけでは理解できません。観て学び、調べてまた観るの繰り返しです。ギリシャの荒涼とした大地に、大きめのカバンを持った旅芸人の一団が佇む引きのショットが、アンゲロプロス作品を象徴しているといえるでしょう。

アンゲロプロス作品の中でも私が特に好きなのは「霧の中の風景」(88年)のワンシーン。父親を探しに旅に出た12歳の少女と5歳の弟が、保護された警察署から外に逃げ出した途端、雪が降り、世界の時間が止まる描写。姉弟以外の世界は時間が止まり、その中を2人は再び進んでいきます。このシーンを観た時、映画っていいなと思いました。その他にも海から吊り上げられる巨大な手、フィルムの切れ端の中に浮かぶ樹木など、痛切に美しい詩のような、映画的な風景が映し出されます。

それから16年、「エレニの旅」はロシア革命で両親を失ったギリシャ難民のエレニの半生を、ギリシャ現代史に重ねて描いた映像叙事詩ですが、なんと村が一つ水の中に沈みます。アンゲロプロス監督作品でしか撮れないシーンだと思います。監督の中、眼差しには常に、安住の地などない難民としての問題があったのだと推測されます。海に囲まれた島国の日本人は、このテーマを突きつけられた時に何を想えばいいのでしょうか。

パンフレットには監督の直筆の言葉、インタビュー、作品解説、スタッフ・キャスト紹介に加え、俳優・佐野史郎さんが作品に寄せた文章、さらにシナリオが採録されており、写真も含め非常に貴重で重厚な内容となっています。

ギリシャの20世紀を描く3部作のうちの第1作で、第2作「エレニの帰郷」は09年に発表されましたが、アンゲロプロス監督は第3作目を撮影中の12年に、アテネ郊外のトンネル内でオートバイにはねられる事故で惜しくも亡くなってしまいました。3部作は未完となっています。享年76歳でした。壮大な映像叙情詩がどのように完結したのか観たかったですね。

映画とは何かを教えてくれた監督の一人です。「エレニの旅」(05年4月公開)のプロモーションで来日された時に取材できたことは、私の中で非常に大きな財産となっています。

 

エレニの旅 [DVD]

2004年/ギリシャ、フランス、イタリア、ドイツ合作、ギリシャ映画/ドルビーSR/2時間50分/
提供:フランス映画社、紀伊国屋書店/配給:フランス映画社 バウシリーズ作品157

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