第90回アカデミー賞で全13部門にノミネートされ、作品、監督、美術、音楽の4部門を受賞した、ギギレルモ・デル・トロ監督の「シェイプ・オブ・ウォーター」を観た。とても映画愛に満ちた、映画だからこその表現を駆使したピュアな作品だったと思う。製作・原案・脚本も務めたギレルモ監督ワールド全開のファンタジーラブストーリーとなっている。
幼少期のトラウマで声が出せないヒロイン、イライザと、アマゾンで捕獲されたという不思議な生き物のラブストーリーがファンタジーとして成立してしまうのは、いくつか理由があると思う。まず視覚的に美術が優れていること。政府の極秘研究所という作り込まれたダークな世界観の中に姿を現す半魚人のようなグロテスクな生き物は、リアルであり、違和感がなく、もしかしたら存在するかもしれないと思わせる造形だ。
男でも恐れるような容姿に、噛み付いてくるかもしれないという未知なるものへの恐怖がわき起こり、女性ならなおさら恐がって、近寄りたくないと思うのが普通であるが、イライザとこの不思議な生き物は、目と目を合わせた瞬間からお互いの本質を見抜いたかのようにすぐに惹かれ合う。言葉は必要ないのだ。目と目、手話、ボディランゲージで意志を疎通させていく。そして、次第にこの生き物が愛らしく、魅力的に見えてくるではないか。人間にとっての恐怖とは愛とは何なのか、突きつけられたように感じる。
2つ目の理由は、1962年、冷戦下のアメリカという時代設定だろう。アメリカと旧ソ連が互いを出し抜いて世界の覇権を握ろうと水面下で躍起になっている、ある意味戦時下よりも異様な時代と世界。軍事力や科学技術を磨き、あらゆる面で世界一になろうとする中で、宇宙船や宇宙人のように、未知なる生き物を研究しようという設定は映画的な説得力を持つ。ギレルモ監督の「パンズ・ラビリンス」(06年)を観れば、この監督が戦争に対して、戦時下の人間の精神の狂気について、死について、何を考えているのかがより深く理解できるだろう。
そしてもう一つは、様々な場面に散りばめられた映画へのオマージュであろう。古き良き時代、物質的には満たされていなかったかもしれないが、ギレルモ監督の懐かしき記憶、思い出がこの物語を包み込んでいる点が、観ている我々を幸福にするのであろう。グロテスクなもの、フリークス、未知なるものとの接触を扱った映画は過去に何本もある。一部でパクリ疑惑が出ているようだが、それをどう捉えるかだと思う。
孤独な人間にとって人生は時に残酷である。しかし、ギレルモ監督はファンタジーというカテゴリーの中で、ユーモアやイマジネーションがそんな人生を豊かにすることを描こうとしているように思う。映画のラスト、イライザはどうなったのか。あなたのイマジネーション次第でこの映画の味わい方が変わる。