日本人監督の一人目は黒沢清監督です。いま日本映画界で黒沢監督ほど独自の世界の見方をする監督は他にいないと思います。日常のすぐそばに恐怖があることを示してくれています。「CURE キュア」(97年)の登場はそれ以降の日本映画のひとつの方向性を変えたといっても過言ではないでしょう。
今回久しぶりに手にしたプレスシートは「ドッペルゲンガー」(02年)です。「CURE キュア」以降、「カリスマ」(00年)、「降霊」(00年)、「回路」(01年)と立て続けにコンビを組んだ役所広司さん主演作。ドッペルゲンガーという主題をチョイスしてくるあたりが実に映画的だと思いました。
ドッペルゲンガーとは、ご存知の通り、自分自身の姿を自分で見る幻覚の一種で、伝承では、ドッペルゲンガーを見たものは数日のうちに必ず死ぬと言われている、自己像幻視のことです。
自らの分身(ドッペルゲンガー)に遭遇した男を役所さんが演じ、当然その相手役も役所さんが演じるという試みに挑戦した黒沢監督の新境地とも言える作品。自分の分身と遭遇した男は、次第に現実の自分と理想の自分と葛藤しだし、ひとりの人間の中で起こるもの、本来の自分と分身であるはずのもうひとりの自分が闘いを繰り広げる様が映像で表現され、コミカルでありながら恐ろしくなってくるのです。
その主人公の研究者の男を役所さんが見事に演じ分け、分身であったはずのもうひとりの自分に存在を脅かされていく様子をリアルに演じられる役所さんはやはり凄い役者です。どの作品でもどんな役でもその人物に染まり、最後には自分のものにしてしまっているのです。黒沢監督の描く恐怖と役所さんが持つ恐ろしさが融合するととてつもない化学反応が起きて、今まで見たことのない怖さを目の当たりにします。
現実世界とあの世(非現実世界)とも言える世界の境界線が次第に曖昧になり、遂にはどちらが現実なのか分からなくなっていきます。映画を観ているこちらも映画なのか、観ているこちら側が非現実なのか感覚が麻痺してくるようです。
黒沢清論について今回はこの辺にしておきますが、また違う作品のプレスシートをめくり返しながら深く論じていきたいと思っています。黒沢監督はもしかしたら別世界から来た監督(才能)なのかもしれません。全10ページ。
2002年/35ミリ/カラー/ドルビーSR/ヴィスタ/107分
製作:東芝、ワーナー・ブラザース映画、日本テレビ、アミューズピクチャーズ、日本テレビ音楽、ツインズジャパン
配給:アミューズピクチャーズ